
農業が減っていく本当の理由
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──「やりたい人」が入れない日本の構造とは?
「農業は稼げない」「高齢化が進んでいる」「担い手がいない」──
農業に関するニュースには、いつも決まってこの3つが並びます。
でも、農家として現場に戻り、全国の農家さんと話す中で、ずっと引っかかっていたことがありました。
“やりたい人がいない”のではなく、“やれる構造じゃない”。
農業の継続を困難にしているのは、個人の熱意や努力ではなく、「仕組み」や「構造」の側にあるのではないか。
そんな違和感が、日に日に強くなっています。
これは今まさに、自分自身が“家族”という構造の中でもがきながら農業を続けている、等身大の実感でもあります。
「農業に関心がある人」は、むしろ増えている
2024年の意識調査では、Z世代の約3人に1人が「農業に関心がある」と回答しており、副業や兼業として関わりたいと考えている人も4割を超えています。
家庭菜園や食育を通じて、農業への親近感はむしろ広がっている印象すらあります。
出典:JA共済 地域・暮らし・農業に関する調査(2024年2月)
一方で、実際に農業に従事している人は年々減少。
2024年現在、基幹的農業従事者のうち65歳以上は全体の約7割を占めており、高齢化が進行しています。
出典:農林水産省「農業経営体に関する構造動向」令和6年4月
意欲はあっても、どう踏み出せばいいかわからない。やってみたいのに、入れない。
そのギャップを生み出しているのが、土地制度、相続、家族経営といった「構造的な壁」だと感じています。
土地はある。けれど、それを動かす仕組みがない
農地は個人資産であり、多くの場合は祖父母や親の名義で代々引き継がれてきたものです。
そのため法人化や機動的な運用が難しく、経営の自由度が制限されてしまう。
そして何より、その土地には家族の歴史や思い出が深く刻まれている。
だからこそ、「貸す」「譲る」「誰かに任せる」という判断を下すのが簡単ではないのです。
土地はある。でも、それを動かす仕組みがない。
それは制度の問題であると同時に、感情や文化の問題でもあると感じています。
「家族だけで営む農業」が、外からの風を拒んでしまう
農家の大多数は家族経営です。
信頼関係の強みがある一方で、「家族だけ」で営むことが外部との接点を狭め、閉ざされた構造を強化してしまう面があります。
- 誰かが病気になると、現場が止まってしまう
- 報酬や評価があいまいで、人が定着しにくい
- 「家族じゃないから」と、外部人材に裁量を渡しにくい
さらに、農業特有の季節性も追い打ちをかけます。
たとえばぶどう農家では、春〜夏は繁忙期で作業が集中しますが、冬場は一気に作業が減ります。
この「繁閑の波」により通年雇用が難しくなり、人を育てにくくなり、結果としてさらに構造が閉じていく。
農業が“続かない産業”になってしまっているのは、こうした構造的要因も大きいのだと思います。
「正解」はなくても、「試み」は必要だと思う
たとえば、農地を信託のような形で地域に開く。
たとえば、繁忙期だけ副業人材が関われるような仕組みをつくる。
たとえば、家族経営の中でも、報酬や役割のルールを明文化していく。
どれも完璧な解決策ではないし、すぐに成果が出るわけでもありません。
でも、少しずつでも「閉じた農業」を“ひらいていく”試みを積み重ねていくことが、未来への一歩になると信じています。
そして実際に、こうした挑戦は全国各地で静かに始まっています。
地域の農地を共有化する動きや、都市と農村をつなぐ取り組み、新しい組織の形など──。
まだ小さな芽でも、確実に、前に進んでいる流れがあると感じています。
このままだと、農業は“点”でしか残らない
今のままでは、「親の代で終わる農業」が増えていくでしょう。
それは、地域の中に“点”として個人経営が散在し、つながりのないまま消えていく未来です。
耕地面積の推移にもそれは表れています。日本の耕地面積は減少傾向にあり、このままのペースが続けば、2040年ごろには350万haを下回る可能性も指摘されています。
出典:三菱総合研究所「食料安全保障の長期ビジョン」
土地が減り、人が減り、技術の継承も難しくなっていく。
このままでは、農業は“産業”としてではなく、“記憶”としてだけ残るものになってしまうかもしれません。
最後に
僕自身、今もこの構造の中でもがきながら農業を続けています。
家族の感情と、経営の論理のはざまで、何度も立ち止まりながら、それでも「何かできないか」と問い続けています。
農業は、本来とても希望のある仕事だと思っています。
でもその希望が、制度や構造の硬さに押しつぶされてしまう場面を、何度も見てきました。
だからこそ、希望を「人の熱意」だけに任せるのではなく、
その熱意が通りやすくなる“構造”をつくること。
それが、僕ら世代の役割なのかもしれません。
すぐには変えられなくても。
今日もまた、一歩ずつ、畑で模索を続けています。