
農家の僕が「ノウタス」の創業メンバーになった理由
こんにちは。農家のひろゆきです。
最近、ノウタスの仲間がキャリアを振り返る記事を出していて、それを読んで「あ、自分も書いてみようかな」と思いました。
いま僕は、長野県で三代続くぶどう農家「岡木農園」の専務として父と共に日々畑に立ちつつ、スタートアップ「ノウタス」の専務取締役として事業戦略に深く関わっています。
また、昨年からは大阪高槻市の「ノウタス高槻農園」の運営にも関わり、地域ではPTA副会長やJA青年部の一員として地域の農業や文化を守る活動にも携わっています。
いろいろな肩書がありますが、すべてに共通しているのは、社会や暮らしの中に“農”をそっと連れてくること。
作物を育てるだけでなく、人と人をつなぎ、地域をあたためる農の力を、もっと多くの人に「自分ごと」として感じてもらいたくて、こうして言葉にしました。
Contents
いま僕が暮らしている日々
朝は畑でぶどうの手入れ。
その合間に取引先との商談、そしてリモートでノウタスのプロジェクト会議へ参加。
夜はPTAや地域の集まりへ。
かなり目まぐるしい毎日で「本当に農家なんですか?」と言われるほどですが、逆に言えば、農業はどんな立場の人でも関われる可能性を持った営みだという実感が持てる時間でもあります。
企業のCSRや健康経営の一環で都市農園が取り入れられたり、学校や福祉の場でも「農」が注目されているのを感じます。
今、農が社会に戻ってきているような気がするのです。

銀行員から農家へ、そしてノウタスとの出会い
僕はもともと信用金庫で働いていました。
安定した職場で成績も悪くなかったのですが、次第に「もっと暮らしに近い仕事がしたい」と思うようになり、家業のぶどう農家に戻る決意をしました。
でも農業は厳しい。朝から晩まで働いても、収入は天候に左右されます。
体力を使って働いても、「そんなことやってるの?」と軽く言われることも多い。
それでもこの仕事を続けられるのは、畑と向き合う中で得る”生きている実感”と、農を社会に開く意義を感じているから。
そんな思いの矢先に出会ったのが、髙橋さん、佐々木さん、石原さんでした。当時はコロナ禍で外出が制限される中、リモートぶどう狩りとして畑と農園を繋いだ取り組みをして、たくさんのメディアからも注目されました。
その後、ノウタスを創業する際に「農家目線で事業戦略に携わってほしい」と誘われ創業メンバーとしてノウタスに関わり、現在に至ります。
地域の活動にもがっつり関わってます
PTAやJA青年部など地域の活動にも関わっています。
どれも手間はかかるけれど、地域の一員としての温かいつながりを感じられるのは大きな支え。
特に農業と地域活動は自然に重なることが多いです。
耕すのは僕だけじゃありません。農に関わる“入口”は、一緒につくったり支えたり買ったりする“誰か”の手によって成り立っています。
ノウタスでやってる「農の入り口」づくり
シェアツリーって?
木のオーナーになって、その育ちを体感できる参加型の仕組みです。
クダモノガリプラス
観光農園のDX事業としてサービスの開発を行なっています。
ぶどうがバウムクーヘンに?
ぶどうを使ったバウムクーヘンなど、農の価値を日常に届ける商品づくりも進めています。
農業のリアルと、それでも前を向ける理由
農業は、正直言ってしんどい仕事です。
朝早くから夜まで働く日もあり、収入は不安定で、気象や制度に翻弄されることもしょっちゅう。
けれど、この“未完成な産業”だからこそ、誰かの力が入れる余地があると思うんです。
農業は、もう“専門知識を持った人だけがやるもの”ではなく、“ちょっと関わってみるもの”に変わろうとしています。
キャリアって、都会だけのものじゃない
僕にとってのキャリアとは、「誰と、どんな未来を育てているか」。
畑に立ちながら、地域に関わり、スタートアップ仲間と社会を動かす。
そのすべてが“農を足す”キャリアだと捉えています。
まとめ:農を足して、関わりしろをひらく
これまで僕がやってきたことは、
- 暮らしに農を足す
- 教育や福祉に農を足す
- 地域のつながりに農を足す
- 働き方や考え方に農を足す
そして今、自分の役割は、農との関わりの敷居をもっと低くすること。
「農業ってすごくハードル高い?」と思っている人に、「そんなことないよ」とそっと差し出せる入口をつくっていきたいのです。
農は、暮らしと社会の間に、いつでも戻ってきてもらえる営みです。
ご関心ある方へ
- 農業を取り入れた新しい事業を構想している方
- 地域や教育、福祉に“農”の視点を加えてみたい方
- 社会課題とビジネスの交差点に関心がある方みたい方
そんな方がいれば、ぜひ一度お話ししましょう。
畑で得た感覚を社会に伝えていくことも、僕の”農業”の一部です。